こんにちは、マナボックスの菅野(すげの)です。
この写真、見たことはありませんか?
どこかで見たことがある。という方がほとんどではないでしょうか?
とても有名な写真です。
『安全への逃避』という題目の写真です。
先日、日本に帰省していた時に、たまたフェイスブックでこの写真を含む写真展が開催されているのを知りました。
これは行くしかない!と思い早速行ってきました。
「沢田教一」をご存知ですか?
この写真を撮った人は、沢田教一という方です。
もしかしたらご存じない方もいるかもしれません。簡単に説明致しますね。
沢田 教一(さわだ きょういち、1936年2月22日 – 1970年10月28日)は、青森県出身のフォトジャーナリストです。ベトナム戦争を撮影した『安全への逃避』でハーグ第9回世界報道写真コンテスト大賞、アメリカ海外記者クラブ賞、ピューリッツァー賞受賞。5年後、カンボジア戦線を取材中に狙撃され、34歳で死亡した。
沢田さんはベトナムで、命知らずのカメラマンとして有名になったそうです。
前進するアメリカ軍部隊を撮ろうとして地雷原に踏み込んだというエピソードもあるそうです。
同時期にベトナムで活動したカメラマン石川文洋(ぶんよう)さん(79)は、以下のようなことを言っています。
この戦争を「米軍が農村を攻撃する戦争だった」と振り返る。米軍は南ベトナム解放民族戦線が潜むと見なした村々をしらみつぶしに攻めた。「農村には子だくさんの家庭が多かった。爆撃に巻き込まれ、子供たちが命を落とす。あるいは親を失って困窮する。多くの夢と将来が大人によって奪われました」。石川さんたち多くの報道記者が目の当たりにした、まさにこの戦争の縮図が、そこにあった。
とても、残酷な事が起きていたのでしょう。
沢田さんは、この事実を身をもって伝えたかったのだと思います。
本当に取りたい写真
このように沢田さんは、最前線に立ち続け、ベトナム戦争の核心に迫り続けました。
傷つき疲弊した兵士や逃げまどう市民の表情など、沢田さんの眼差しがとらえた人々の姿は、戦争の理不尽さをより際立たせています。
戦争専門のカメラマンとして、その役割を果たしていったのです。
しかし、沢田さんは、こんなことも言っています。
妻サタさんには口癖のように「そこに生きる人々を、風土を撮りたいんだ」と繰り返し言っていた。
写真家としての原点を探すかのように、沢田は従軍の合間には街へも足を伸ばした。作品には、額に汗する労働者や子供たちの笑顔など、故郷の原風景を思わせる構図や被写体も多い。
写真展には、戦争の残酷さや悲惨さが伝わるような写真はもちろんのこと、ベトナムで撮った親子の笑顔の写真やきれいな景色も数多くありました。
写真展では、沢田さんの言葉も一緒に飾られていました。
そこで、ものすごく印象的な言葉に出会ったのです。
(撮影禁止だったので撮影できず、言葉もうるおぼえですが。)
「ベトナム人の笑顔ってたまんないよね。たまらなく可愛んだよな。」
沢田さんは、本当はベトナムに住む人々の幸せなシーンを撮りたかったのでしょう。
笑顔の力
なぜ、この言葉に強烈に印象に残ったのか?
それは、共感したからです。
笑顔って、とてつもない威力がありますよね。不思議です。
どんなつらい時でも人を元気にするパワーがあります。
私が、ベトナムで働いている時でもつらい時に助けになるのは、周りの方の笑顔です。
・会社で働いてくれてるスタッフ
・街でバインミーを売っているおばちゃん
・フットマッサの人
いつでも、ニコってしてくれます。
「つらい、、、。」
「でも、がんばろ!」ってなるんですよね。
ベトナムは、今成長中ですが、みんなが経済的に裕福というわけでありません。
月に3万円程度という給与の人もたくさんいます。
しかし、自殺率が高いのはむしろ先進国というデータもあります。
経済的な豊かさと幸せは比例しないようですね。
最近ではこんなニュースも!
最近、ベトナム関連のニュースを多く見ます。
居酒屋、救世主はベトナム人 勤勉・親日的で主力
居酒屋のアルバイトで、ベトナム人留学生が引っ張りだこだ。かつての主力、中国人留学生は仕送りが増え、居酒屋バイトには見向きもせず、従業員の過半がベトナム人という店も登場。人材としての魅力は真面目でコツコツ働くことに加え、独自のネットワークの強さから、1人が120人の友人知人を紹介するケースもある。慢性的な人手不足の居酒屋にとっては救世主になっている。
日本で働くベトナムの方も増えていっているのでしょう。
親日、勤勉さ、、、一緒に働くうえでもとても大事ですね。
この他に
もしかしたら
笑顔力
っていうのもあるかもしれませんね。