みなさん、こんにちは「マナボックス」の菅野です。
今回で、第27回目です。
経営の神様の稲森さんの経営哲学は、脳科学的にもエビデンスがあるようですよ。つまり、科学的な裏付けあるんです。すごいですよね!納得!
ベトナム人のリンさん(日本語2級で日本への留学経験あり!しかも若い!)と一緒にベトナムのニュースについて解説していくコーナーです。
本日のテーマは、「IELTSスコア8.5点を取った子供が才能を持つという考え方は間違うかどうか?」です。
この記事のもくじ
IELTSスコア8.5点を取った子供が才能を持つという考え方は間違いかどうか?
>>IELTSスコア8.5点を取った子供が才能を持つという考え方は間違うかどうか?
IELTSスコア8.5点を取った子供が才能を持つの?
スタンフォード大学からの博士であるグエン・チー・ヒエウ氏は、子供のGPA9.5点またはIELTSスコア8.5点を取ったことが子供の本の才能と能力を示しているという多くの人の考えが間違うことを指摘しました。
1月9日に、ハノイのオリンピア中高級学校が開催した『才能の再定義』セミナーで、スタンフォード大学(米国)から博士号とオックスフォード大学(英国)のMBAの最優秀な成績を取得したグエン・チ・ヒエウ氏は、危険な思考のデフォルトが多くの人々の考えに存在することを指摘します。
現在、多くの学校、教師、親たち、および学生たちは、標準化されたテストによって測定された能力と学生の本の知識・能力がよく一致していることを認識しています。彼らにとって、GPAの9点や10点(ベトナムでは、生徒の成績が10ポイントスケールで評価される)、IELTSスコア8.5点、またはSAT Reasoning Testの1600点満点中1500点を取った子供は本当に才能があります。「ハノイのアムステルダム学校(この学校に入る生徒の殆どが海外、特に欧米の国々へ留学に行く予定のある優秀で、英語がすごく上手な子供たちである)や外国語専門学校のような一流の専門学校の入学試験に合格できることはもう才能だ」と考える人さえいます。
その考えから、多くの親たちは子供をいくつかの塾に通わせるだけではなく、子供たちが留学し、または国際学校に入ることができるために、達成しなければならない目標を設定します。例えば、世界のトップの大学に入学するチャンスが取れるように、高校3年間の終わりに、必ず100点を超えるTOEFLスコア、8.0点のIELTSスコア、SAT I スコアの1500点~1600点、SAT II スコアの700点~800点をを持っている必要があるということです。「それによる生徒たちの殆どの夜と週末は、塾に行くべきな時間である。多くの有益なスキルを形成することができる高校生の最も美しい3年間で、世界についての認識が面白くないクイズに注がれてしまう。」とヒエウ氏は述べました。
更に、標準化されたテストに加えて、学生はGPAの高い点を達成し、たくさんの課外活動に参加する必要もあります。 「あと3年しか生きられない」かのように、1週に5〜6回課外活動に参加する生徒もいます。
大事なスキルってなんだ?総合的な能力とは?
ヒエウ氏は、「それらの目標はどれも悪くなくて、時間がかかりすぎることである。きちんとその目標を追求する親たちと子供たちは、ライティング、スピーキング、チームワーク、および自己学習などというそれよりもっと重要なスキルの練習を忘れやすくなってしまう。これは、「才能」の定義についての誤解によるもので、IELTSスコア8.5点、SAT Iの1600点を取った多くの学生が、マサチューセッツ工科大学、またはスタンフォード大学に入学したら、すぐショックを受け、精神病を患うようになり、大学を辞めたいと思う原因の一つである。もちろん、すべての学生が上記の状況に陥るわけではない。しかし、学校の優秀な成績は一人の将来の成功を保証するものじゃない」と共有しました。
才能は、高い点数やハノイ・アムステルダム、外国語専門などの有名な学校の名称ではありません。
それは、総合的で特異性のある能力とコミットメントと創造能力の組合せです。
総合的な能力には、自学自習能力、研究能力、執筆能力、読書力、プレゼンテーション能力、思考力などが含まれます。
学生はそれらの能力を適当な科目に適用します。10人の優秀な教師から学んで満点(10点)を取った生徒は自学自習能で7点を取った生徒より上手だというわけではないです。自習する人の点数は多くの教師から学ぶ人のより低くても、家庭教師のない大学での勉強、そして、指導のない職場での作業をサポートする可能性がある自学自習能力が練習できます。
総合的で特異性のある能力を身に付けたら、学生は自分のコミットメントを持つ必要があります。自分の能力によって設定された目標を達成し、その過程で「才能のある人々」になるための創造能力を極めます。例えば、ゲームをプレイしながら、そのゲームの良い点や悪い点、及び制限などを調べ、その研究に基づく自分の新しいものを作ることとか、教科書が自分のすべての疑問に答えられない場合、インターネットやその他のリソースでもっと詳細な情報を調べることとかです。
頭がいい!の定義が変わってきている
ありがとうございます!面白い話題ですね。新時代における、頭のいいとか優秀の定義ですよね。これは興味深いです。記憶がいいとか、答えがある問題を解くなどの優秀さは昔ほど重要じゃなくなくなってきました。
- 今後は個性が大事。
自分の意見ですが、現在、殆どのベトナム人の親たちは子供の勉強の結果だけを見て、その子供の才能があるかどうかを評価します。
それは、本当に表面的な考えですね。子供たちにとって、最も必要なのはGPAの満点やIELTSスコア8.5点ではなく、「勉強」と「遊び」のバランス、または将来の普通の生活や仕事に役立つスキルです。
学校が終わったら、すぐ塾に行き、早く夕食をしたら、すぐ多くの宿題をやり、そして週末にまた塾に通わなければならないと、子どもたちの世界についての認識が不足になってしまうのではないかと思います。
実際に、私もその子どもたちと同じです。いつもいい成績を取りましたが、中学生の時から高校生の時まで、遊び時間が少なかったです。プレゼンテーションやチームワークやコミュニケーションなどのスキルが何かということも全然知りませんでした。
大学に入り、それからインターンシップを始める時に、色々な日常の知識がわからない私はすごくショックしました。そのため、学校での高い点数や各試験で取れたいい成績が生徒たちの目標ですが、それ以外の有用な能力を練習することも考慮する必要があると思います。
頭の良さや優秀の定義には、以下の2つの概念があります。
「認知能力」と「非認知能力」です。
いわゆるIQ(知能指数)に代表されるテストで測ったり数値化したりできる知的な能力(学力)が、「認知能力」です。記憶がいいとかも含まれますよね。
非認知能力は認知能力“以外のもの”を広く指す言葉です。
例えば、「目標や意欲、興味・関心をもち、粘り強く、仲間と協調して取り組む力や姿勢を中心」とする力などです。創造性もそうでしょう。
AIなどが発展してくると、認知能力は、テクノロジーに勝てません。なので、非認知能力が我々にとってとても重要になってくると思います。