こんにちはラボの菅野です。
ベトナムのホイアンはご存知ですか? 観光地として有名で世界中から人々が集まってきます。その理由は以下が挙げられるでしょう。
ホイアン古町は1999年にユネスコの世界遺産に登録されました。保存状態の良い歴史的な建物や通りが多く残されており、16世紀から17世紀にかけてのアジアの貿易港の雰囲気を感じることができます。
ホイアンはかつて国際貿易の重要な拠点であり、中国、日本、ポルトガル、オランダなど多くの国々の商人が訪れました。その影響で、町には中国風の寺院や日本の橋(日本橋)、フランス植民地時代の建築など、様々な文化が融合しています。
日本の影響も受けていることもあって、建物の中に入るとなんだか福島のおばあちゃんの家を思い出してしまって懐かしい気持ちになるんですよね。
そのホイアンで見られる「バスケットボート」(または「竹籠ボート」)があります。このユニークなボートは、円形の形をしており、竹と防水材料を使用して作られています。地元では「Thúng Chài」や「Thuyền Thúng」として知られています。
実はこれ、税制が関係したらしいですよ。
ココナッツボート・バンブーバスケットボートのストーリー
バスケットボートの起源はフランスの植民地時代にさかのぼります。この時代にフランス人が漁船に対して高い税金を課したらしいです。そのため、漁師たちは税金を回避するために、漁船と見なされない小さな手作りのボートを開発しました。このボートがバスケットボートの始まりです。つまり、税金が関係していたんですね。このような「強制」があったからこそ、ホイアンの名物の一つになったのはなんとも皮肉なもんです。
近年では観光客向けのアトラクションとして人気があり、ホイアンのような観光地ではバスケットボート体験が提供されています。結局のところ「外圧」のようなピンチが文化を生み出す側面があるんですよね。
以下の植民地時代のおおきな流れを記載しておきます。
フランス植民地時代
開始:
- 1858年:フランスはベトナムのダナンに上陸し、植民地支配を開始しました。
- 1862年:サイゴン条約により、コーチシナ(南ベトナム)の一部が正式にフランスの植民地となりました。
拡大:
- 1883年 – 1885年:フランスは北ベトナム(トンキン)と中部ベトナム(アンナン)を支配下に置きました。
- 1887年:フランス領インドシナ連邦が設立され、ベトナム、ラオス、カンボジアが統合されました。
終焉:
- 1940年:第二次世界大戦中に日本がベトナムを占領しましたが、フランスの行政機構はそのまま維持されました。
- 1945年:日本の降伏後、ベトナムは独立を宣言しましたが、フランスは再び支配を試みました。
- 1954年:ディエンビエンフーの戦いでフランスが敗北し、ジュネーヴ協定によりベトナムの独立が正式に認められました。これによりフランスの植民地支配は終焉を迎えました。
フランスのベトナム植民地時代は、おおよそ1858年から1954年までの約100年間にわたります。この期間中、フランスはベトナムの経済、文化、政治に大きな影響を与えたんですね。
日本にもおなじような税制、「間口税」があった?
間口税は、江戸時代に導入された税制で、家屋の正面の幅(間口)に応じて課税されました。この税制の背景と詳細について説明しますね。
背景
- 導入時期: 江戸時代初期、特に三代将軍徳川家光の時代に導入されました。
- 目的: 幕府の財政を補うために、都市部や商業地域に住む人々に対して公平な税収を確保することを目的としていました。
内容
- 課税対象: 家屋の間口、つまり建物の正面の幅に応じて税金が課されました。間口が広いほど、税金の額も増加します。
- 実施地域: 主に京都、大坂、江戸などの都市部で適用されました。これらの地域では、商業活動が活発であり、多くの商家が存在していました。
影響
- 建築様式への影響: 「間口税」を回避するために、家屋の間口を狭くし、奥行きを深くする設計が一般的になりました。これにより、京都の町家などは「うなぎの寝床」と呼ばれる特徴的な細長い形状が生まれました。
- 経済的影響: 商家や町民にとって間口税は大きな負担であり、税金を回避するための工夫が多く見られました。この工夫が結果として町の景観や建築文化に大きな影響を与えました。
間口税は、当時の社会や経済に大きな影響を与え、その影響は現代の建築様式や都市景観にも見られます。税金がやだ!といったモチベーションと税金払え!といった圧力がこ建築様式へ影響を与えたんですね。
他の国にも類似の税制があります。
ベトナムのバスケットボード、日本の間口税のほかにも世界には似たような税制があります。その中の一つがイギリスの窓税です。要は「窓の数に応じて税金を課す」という制度です。なんじゃそりゃ!って感じですよね。利益じゃなくて「モノの大きさ、数」に応じて税金が増えるといった点で同じだといえます。これらをまとめると以下のようになるでしょう。
- 税金なんてできれば払いたくない!
- 制限が新たな文化を生む!そしてその結果、キャッシュも生む!
抽象化すると上記に2つがわかるわけです。
項目 | ベトナムのバスケットボート | 日本の間口税 | イギリスの窓税 |
---|---|---|---|
背景 | フランス植民地時代に漁船に高い税金が課された | 江戸時代に家屋の間口(正面の幅)に応じて税金が課された | 1696年に窓の数に応じて課税 |
目的 | 漁業活動を継続するため、漁船と見なされない小さなボートを作成 | 家屋の税金を減らすため、間口を狭く設計 | 家屋の窓の数に応じて税収を増やす |
工夫の内容 | 竹を使って円形の小型ボートを作成 | 家屋の間口を狭く設計し、奥行きを深くすることで税金を回避する | 窓を塞いだり、新たに窓を作らない |
影響 | バスケットボートが漁業や観光において重要な役割を果たす | 間口が狭く奥行きが深い町家や商家が増えた | 窓の少ない家屋が増え、建築様式に影響を与えた |
文化的・歴史的影響 | 伝統的な手工芸技術が保存され、観光資源としても価値がある | 現在でも伝統的な町家の特徴として残っている | 現代でも歴史的建造物に窓税の影響が見られる |
地域 | ベトナム、特に中部地方 | 日本全国(特に江戸、大坂、京都などの都市部) | イギリス全土 |
現代での利用状況 | 観光体験や文化遺産として重要 | 伝統的な建築様式として観光や文化遺産として残っている | 窓税の影響で歴史的建造物に独特の特徴が残っている |
工夫の結果 | 漁業税を回避し、漁業活動を継続 | 間口税を回避し、家屋の維持費を低減 | 窓税を回避し、建物の税金を軽減 |
繰り返しになりますが上記を見ると、いずれの場合も当時は「税金を回避したい!」というモチベーションとその結果生まれた文化が観光でも利用され現在は仕事(お金)も生み出すという結果になっていますよね。とくにホイアンの場合はそれば顕著です。
このように歴史と税金を組み合わせるとおもしろいですよ。